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エッセイ(瑠璃色のカラス)

須田和男作品オブジェ
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窓の外を見ると常夜灯の周りを虫たちが光りながら回っている。
静かな風景である。
これは千葉の船橋の展示場の窓からの眺めと同じ風景であった。
きまって木星と土星のように大型の惑星虫が微塵の虫を従えキラララと回っている。
夏の夜の好きな風景である。
船橋は暑い。栃木と比べると随分と暑い。

私の船橋というのは単身赴任でのことで、横浜の展示場ができるまでの約2年間であった。
営業からの深夜の家路、何も用もなく意味がないのであるがコンビニに立ち寄ることが日課で、へんてこに店内を一巡するのである。
誰もいないアパートにはダイレクトに帰れないのである。

船橋の夏見台の三軒屋のその先の金杉十字路のその先の法音寺のその先の112番地の其の先の。
通りはもうすっかり静かで、農家の屋敷の生垣からはその常夜灯に照らされて、漆黒の闇夜に夏みかんが黄色くまぶしく、凛と光っている。
みずみずしいトパーズ色の香りさえ感じる。
虫の天体ショウーも深夜のコンビニも闇夜の夏みかんもこれらを今思いおこすと小さな幸のことで、どんなことでも心しだいである。
今年ももうお盆が過ぎたが、お盆のアパートはどこの部屋も明かりが無く実に良いものとは言えないが、扉にとまっている小さな蛾一つが特別のように思えてくる。
これも心しだいである。

あの頃、アパートでの夜更けは主に中国古典の唐や六朝の頃の時代の臨書をした。
それは欧陽詢、虞世南、王羲之、猪遂良、顔真卿などの人たちのもので、1400年もの昔の人たちとのお話の場でもある。
書の歴史上、中国ばかりではなく漢字文化国共通の超弩級の国宝で、ほとんどが石に刻んだ碑文で、本物の紙オリジナルはそれぞれの時の皇帝達が自らが崩御する時、棺にしっかり納めさせ黄泉の国に大切に持っていた程である。
その人たちが書いた碑文の拓本集を一文字一文字見ながら文字を臨書するのである。
しみじみと眺めながら書きながらこれ以上のものがないと思うのである。
スーパー極上の物との対峙は精神を覚醒させる。
時空を超えたそうそうたる偉人たちとの出会いで、私は勝手に幸せ者であった。
この時期偉人達と少しだけ一緒に暮らしたような妙な手ごたえがあるのである。
唐の時代に漢字の完成時に前記の偉人たちが漢字を書きまくったものだからもうその時代の後にそれ以上の楷書はないのである。
以降現代に至るまで、基本的に端正な楷書で勝負はもうできないのでありまして世の書家達はふにゃふにゃとした文字で展覧会では勝負しているのである。
その頃の夜更けに書を習いながら作った俳句がある。

・ ゆく夏の網戸のそとの深い澪
・ 出勤にゆれ光るもの荒地野菊
・ ほおづきの血の管みれり生きねばと
・ 蛾一つたれ一人いぬ盆の扉
・ きれぎれに外にきこゆる夜の蝉
・ 虫の声慣れし漢字の墨の色ちがう

「お隣は孟宗竹の藪で風が吹くとカサカサと雨が降ると深い澪があるような、そして虫たちが思い思いの歌を聞かせてくれるのである。じっと聞いているといつもの墨なのに色のニュアンスが違って見えてくる。いただいた鬼灯を見ていると葉脈が血管のように力強く見えてきて元気が出てくる。
途上、金杉あたりは畑や雑木林や荒地が、そこに一叢の薄ピンクの野菊がゆれている。」

たまの休日は朝方まで毛筆の臨書や作品つくりをした。
習志野の絵の友人一人に見てもらう為にアパートの部屋中に書を貼り巡らしにわか個展もした。
この朝方、黎明が、人無し無言オペラでも見ているかのようで、闇がいつの間にか那由他の星々で畑や竹林や屋根々々に染入るように青紫に。
さまざまに少しずつ少しずつ形を現し景色はそして、それぞれの色で弱いかすかな蛍光色を発して息づいてくる。
竹林の影に大きな青黒色の土蔵が現れ、屋根には瑠璃色に輪郭が光るカラスが見える。

あの遠い日、金杉小学校の校庭のポンプ小屋のその裏の、隅の隅の背の高い草のその根元のクローバーの下で小さな小枝にとまって小さな虫が鳴いている。
想うが自在、時空も自在、淋理露路呂 淋理露路呂と鳴いている。

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