古民家商家視察
監督銀吉の弱心・現場日記【2016年11月01日】
ビックボックスで扱う古民家ログハウス「八咫烏」を更なる高みへと、施工の面から意匠まで様々な表情を味わい研究に松本民芸館やその周辺の古民家商家、国宝松本城を見て回りました。
そしてつい先だっては銀吉、大急ぎの2日間で広島県竹原市と岐阜県高山市の古民家郡保存地区の視察に行ってまいりました。
激忙に追われ勉強不足の銀吉に、本物を見て来いと!と会長からの命を受けてのこと、瞬間何だーぁ!と思ったのでありますが。 行っている暇は正直ないのですが仕方がありません。
しかしながら行ってみると感動の連続で双方とも保存の仕方に違いはありますが、いにしえの建物を良く現在に保存してこれたと、先人達の心に感謝と共感。 そしてめくるめく建屋のいろいろな詳細に至る形にブラボー!日本ってすげ~な! と赤ちゃんのような素直な気持ちになって思うのでした。本当にすごい!
軒を連ねる様は、300年前にタイムスリップしたかの様な、横丁から昔の人が出てきそうな錯覚に陥ります。 銀吉は、観光で来た訳ではありませんので、気合を入れて目は皿のようにして軒の裏や板塀の裏側、板戸の裏側などディテールを舐めるように見て参った様子は、多分、一般の観光客から見たらかなり挙動不審者に見えたに違いない。あはっ!
格子の造りなどは手が込んでいますが、触って感触を確かめてみると意外と繊細だったり強固無欠の防犯ではなく意匠優先の繊細な造りに日本の美学を感じました。 ガツーンとドッシリだったりキャシャだったりして写真では表現しえないわからない感覚を堪能いたしました。
雪の降らない地域の建屋と、豪雪地域の建屋の違いも実際に見て感じ取ることができました。 直接見て来いと言われたリアリティー、現実を直視することがいかに大切か、その意味が現地に行くまでわからなかった銀吉は、本当に未熟だと思った次第。 今回の視察で得たもの、八咫烏のシリーズや 既に受注していてこれから始まる大型ホテル施設の古民家ログハウスコテージ群に生かし進化させて行きたいと思いました。
昭和57年12月16日に国の選定を受けた町並み保存地区では、江戸時代から明治、大正、昭和へと時代の建築の歴史的変遷を見ることが出来ます。 最古の建物は元禄4年(1691)年で、妻入り、平入り、長屋型、高塀をもつ屋敷型など多種多様な建造物が立ち並びます。 江戸時代初期に竹原湾を干拓して築いた大新開に、1650年頃播州赤穂より移入した入り浜式塩田より始まりました。 竹原の塩は全国へ送り出され、廻船業も盛んになり経済的発展をとげ町並みが形成されました。
竹原の町並み建造物には、様々な格子を見ることができます。一階部分には出格子が中二階には虫籠窓や武者窓と呼ばれる塗格子等があります。 ゆっくり歩きながら見て回ると、意匠を凝らした様々な格子に出会えることができました。 また、町並みには本町通りを中心とし多くの路地が、往時の生活を感じることが出来ます。
高山は商業経済を重視した城下町として形成され、城を取り囲んで高台を武家屋敷、一段低いところを町人の町としました。 町人地は武家地の1.2倍と広く、商人の経済力を重視した姿勢が表われています。 この町人地の一部が重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
この地区の街区割りは、城下町として完成して以来ほとんど規模を変えず、町人の町として栄えた面影をしのぶことができます。 江戸末期から明治の中2階建の町家が比較的多く保存地区の景観構成要素となっています。 この地区の軒高は4.2m前後と低く統一感のある美しさをもちます。
屋根勾配は緩く軒の出は深く前面に板止めを備え、下屋を設けず小ひさしが特徴。 一般的に入り口には大戸、その他の柱間には上げ蔀(しとみ)戸と腰付障子が建てられ、その外側には出格子が設けられています。 地方色豊かな小庇(ひさし)には箱庇を設け、商家では屋号入りの暖簾(のれん)をさげています。 木部には紅殻(べにがら・べんがら酸化第二鉄の赤茶の顔料)にすすを混ぜ着色し、漆の刷毛洗い油や荏胡麻油で着色止めをし胡粉塗りとするなど統一感のある外観構成となっていました。
伝統の優れた建築技法が盛りだくさん大いなる建築教科書でありました。 広島・岐阜いずれも本当に見学して良かったです。
百聞は一見にしかず、経験実地が大切、机上の頭でっかちはダメですね。 八咫烏シリーズのこれからの進化にご期待ください。 誤解しないでください現在の八咫烏もあっぱれですよ。
監督銀吉の弱心・現場日記【2016年11月01日】