仙台、杜の都のログハウス
監督銀吉の弱心・現場日記【2016年02月04日】
只今、東北地方は杜の都 仙台市内での46坪の少し大きめなログハウス住宅(弊社モデル・ペルヘ アレンジ)を建築しています! 仙台は伊達政宗の城下町「杜の都」で、さすがに森がたくさん、緑との共存の仙台であります。 杜の都と呼ぶようになったのは明治時代からとのこと、もっと昔から呼ばれていたと思うくらい緑地が半端なく定着していますよね。
ちなみにbb本社の宇都宮市は「雷の都」と呼ばれています。
会長の話で 「地方における文化の高さは、図書館や公会堂、美術館や病院などそういう文明の有用な施設の数や大きさで測るのではなく、 如何に緑、樹林を都市やその町並みの中に取り込めているか、都市開発が重要なんだ、緑の量で文化の高さを推し量る時代が来る。」 なんて聞いたことがあった。 そういう意味からか、仙台は実に奥深い心休まる素晴らしい緑の日本を代表する都市であります。
設計担当スタッフからの話では、建築確認申請を宇都宮市の検査機関に提出して設計審査をしてもらいましたが その担当の方が仙台市出身の方だったらしく、仙台の良さが分かりますか?と懐かしいとばかりに仙台情報を随分といただいた様子です。
その情報とは、安くてうめ~牛タンのお店!とかではけっしてありませんです!
もちろん緑談義があったのですが、仙台といえば、やっぱり銀吉としては、1番に思い浮かぶのが、伊達家第17代当主の伊達政宗公ですね。 独眼竜政宗公。学校で習った位の知識しかなかった銀吉ですが、仙台に行く機会も増えそうなので、ちょっと調べてみました。
乱世の世の中が落ち着いてから、領内の開発整備にずいぶんと力を注ぎ、運河や北上川流域の整備開拓をして、 現在まで続く穀倉地帯を作りあげたり、国宝に指定の大崎八幡宮、瑞巌寺など数多くに建造物を残しました。 現在の石巻港を設け、江戸にコメを輸送する体制も整えて最盛期には「今江戸三分一は奥州米なり」と 『煙霞綺談』(エンカキダン)に記述されたほどになった仙台藩の初代藩主とのことであります。
今でいえば行政庁のトップですが、現代まで名を残す武将というだけではなく領国を想い、土木や建築に対しても相当優秀な藩主だったのでしょうね。
銀吉も、仙台市内に、後世にまで残る様な立派なログハウスを造らなければと改めて考えさせられました。 工事も現在進行中です、現場見学も対応いたしますのでお近くの方、現場見学希望のある方はぜひぜひ遊びに来てください。あ~あ寒!やっぱり仙台は寒い!
伊達者になりたい銀吉はじめ、仙台現場監督・監理スタッフ 皆頑張ってまーす!です。
監督銀吉の弱心・現場日記【2016年02月04日】